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陶磁器について 3

 

磁器について➡

磁器は陶石、つまり岩石を粉砕した石粉が主な原料で「石もの」と言われます。ほとんどは白く、触り心地もなめらかで洗練された印象があります。ガラス質が多く含まれているため、光を通し、叩くと澄んだ高い音がするのが特徴です。1300℃程度で焼成します。

 

磁器は中国では古くから製造され、後漢時代(AD22年~250年)には本格的な青磁がつくられています。磁器の産地としては景徳鎮が特に有名です。

 

日本では、豊臣秀吉の朝鮮出兵文禄・慶長の役によって、朝鮮半島から連れて来た陶工・李参平(金ヶ江三兵衛)が肥前有田で磁石(じせき、磁器の原料)を発見したことから製作が始まったと言われています。窯跡の発掘調査の結果からは、1610年代に有田西部の諸窯で磁器(初期伊万里)の製造が始まったというのが通説となっています。

 

本の主な磁器として肥前磁器(伊万里焼)や九谷焼などがあります。

 

 

 

京焼について➡

 

京焼(きょうやき)は、日本の陶磁器のうち、京都で焼かれる作品の総称。

 

 

 

京都での色絵陶器の成立

 

 17世紀(江戸時代初期)に入ると、茶道の興隆に伴って茶碗、茶入など茶陶の製造が盛んになりました。

具体的には、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人が京で作陶し、各産地の技法をベースとして高麗茶碗の写し

などが作られています。この頃、黒谷土と呼ばれる製陶に適した原料土が京周辺の山城国で発見されたこ

とも陶器の生産の助けとなりました。この頃の京焼はすべて陶器です。

 

 京焼の中で最古の部類に入る粟田口焼(粟田焼)は、寛永年間には粟田口で生産を行なっていました。

ここでは中国の茶器の写しや天目茶碗が作られました。

同時期では、八坂焼は1640年、清水焼は1643年までには存在が確認されています。

これに続いて御室焼、御菩薩池焼(みぞろがいけやき)、修学院焼なども作られました。

 

 このような中、慶安3年(1650年)525日に金森重近(宗和)が参加した茶会に関する記述の中で、

絵付を施した御室焼の登場が確認されています。

 さらに翌年か翌々年には赤色系の上絵付を施した御室焼が野々村仁清によって初めて作られました。

調合・焼成の困難な赤色系の絵付を17世紀に成功させたのは、磁器を国内で初めて製作した伊万里焼

(有田焼)以外ではこれが唯一の例であり、かつ陶器では国内初です。

 

 野々村仁清の死後、跡を継いだ息子は技量が及ばず、製陶から手を引きました。

しかし仁清から直接技法を学んだ尾形乾山は優れた作品を多く残しました。

 また、永樂了全より後の永樂家は保全、和全など優れた陶工を輩出し、千家に作品を納めて今日に

至ります。

 

 技術的にも重要な存在としては奥田頴川(オクダ エイセン)が挙げられます。

頴川は京焼として初めて磁器を製作し、この後を受けて青木木米や仁阿弥道八らも磁器の作品を多く

残しました。

 

 

  資料はウキぺディアから抜粋しました。   村上 喜園         2020年8月1日(9)